佐々木 未穂ブログ

3ヶ月で英語を仕事にする方法

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【どんなときも今が完璧で最高】

コーチングの意義を考えて深刻になることがある。

「果たして私は必要なのか?」と思う時である。

もし人を達成に導くことがコーチングだとしたらこんな素晴らしい仕事はない。

ところが実際はそうではない。(←やってみたらわかります。笑)

クライアントが生産性をあげて成果をつくると、とても嬉しくていい気になる。

しかし達成はコーチの手腕や手柄ではなく、間違いなくクライアントの実力である。

一方でチャレンジングで高い志のあるリーダーの仕事人生はなかなか厳しい。

いつも挑戦していると「やるといったこと」の未達成の連続だ。

そうでないとしたら間違いなくコミットが低いと言わざるを得ない。

コミットしなければ問題も失敗も起きようがないのだから。

辛くて苦しいから大変だねという話ではない。

かといって楽しいことばかりではなさそうだけど。

どちらかというと、この世に生まれてきた役割のような、やらざるを得ない天命に近いだろう。

何しろリーダー達の魂は「荒ぶる魂」なのだ。

キングダムの武将みたいなものです。笑

やるといったことを達成しなかった自分の無力さ、競合に下克上されていく惨めさ、仲間が去っていく悲しさ

人生は起きることが起きる。けれど、人間だから当然いろいろな解釈の海に溺れる。

コーチはそれと日々直面する。なぜかというとクライアントに起こることはすべて自分の場で起きていることなので、コーチとクライアントの人生は合わせ鏡なのだ。

クライアントの方々が、苦しんでいるときに解決する術がないときに自分に出来ることは限界があることを思い知る。何もできないでただその人と一緒にいることはけっこうきつい。

あまりにも辛いので、こうしたらいいとかああしたらいいとか

経験している当人でもないのに、低い見識と狭い視野で中途半端な軽い励ましをしようとする自分を発見して思いとどまる。

いわゆるひとつの「存在の耐えられない軽さ」です。

穴があったら入りたいレベルのアレですよ。

そんなときは自分の無力さを承認して、悲しさや苦しさをただ共感するしかない。

自分だって、夫や子供達がそういう体験をしたときは、辛くてもただネガティブな感情を共有するしかなかったではないか、と思い出す。

そしてその望んでいない厳しい体験が、人としての成長や未来の成功をつくってきたのは間違いない。明けない夜はないのだ。

コーチは師匠でも先生でもない。

雨の日も晴れの日も、その人と一緒に併走するしかない。

本当にただそれしかできない。

そしてこれがコーチが得られる恩恵であり、人の本物さに触れられる光栄な機会です。

だからどんなときも今が完璧で最高なのだ。